推しを推す、そして万物に感謝する。

元書店員。日常のオススメやアレコレの話を。

転がしていこうぜ、まんべんなく。

お疲れ様です。

 

 

夏ごろに、というと最近か、私が珍しくハマったゲームとして、『ぼくのなつやすみ』というゲームの実況動画をオススメしたのですが、

同じ実況の方が、もう一つ私の大好きなゲームの実況動画を上げていて、久しぶりにゲームのプレイ画面を見たら、あー、やっぱり好きだわ……となったので、ご紹介したい。

 

 

ジャック・オ・蘭たんさんの動画

www.youtube.com

 

塊魂(かたまりだましい)です。

 

 

塊魂 公式サイト

www.katamaridamacy.jp

 

 

ゲーム性がたまらなく好き。

ウッカリ者の王様のせいでたくさんのお星さま? 惑星? 塊? を作らなくてはいけないことになった王子(プレイヤー)。理不尽ながらも言葉少な(終始無言)な彼は、王様に従って地球に塊を作りに行く。

 

 

塊ってなんぞ

 

って思われると思うんですけど、それは文房具であり、お菓子であり、人間、牛、車、建造物、時にはクジラ、そして大地……。

 

そう、私たちは塊の一部になりえる存在

 

 

 

 

宗教っぽくなってきた。

 

 

 

 

動画見てほしい。

それが一番よくわかるから。

 

 

ゲームとしても楽しいし、それを彩るデザイン最高。

 

王子可愛すぎ。

 

着飾る王子可愛すぎ。王子には従妹たちがいるのですが、みんなに名前がついている。可愛い。

私はよくジュンペソに塊を作ってもらっていました。懐かしい。

 

いつかのガラケーの待ち受けも、王子たちの誰かにしていた気がする。

 

 

そして音楽。

 

驚くほど贅沢。

更にそれが潤沢。

 

 

松崎しげるさんや、クリスタルキングの田中雅之さんがテーマソングを歌っていたり、他の歌、やBGMがとても良い。

贅沢たる所以ですが、ゲームプレイ中ずーっとエンドレスで聞いていられるんですよね。だからずーっと聴いていても飽きない曲だし、なんなら気が付いたら口ずさめるようになっている。

カラオケでも歌いたくなる。

 

癒し系、ロック、耳に残って離れない歌、ゲーム中の様々な雰囲気が歌によって作られています。

どの歌もどこか耳が心地よい。

 

サウンドトラックあるよ。

 

 

 

 

……。

 

今、公式サイトを見て初めて知ったのですが、初代の塊魂のゲームジャンル、「ロマンチック・アクション」だったんですね。

 

 

どういうことなんや(笑)

 

 

と思う自分と

 

 

わ、わかる……、分かるぞ……!!

 

 

という自分がいます。ロマンチック・アクションの定義が分かりませんが、それでも、確かにあのゲームはロマンチック・アクションだった、と思えるのです。

 

こんな気持ち、「確かにあのゲームはロマンチック・アクションだった」なんて気持ち、他じゃ味わえません。

 

 

 

 

いや、PS2とかPSPとかいつのゲームよ、やれんわい、という方、大丈夫です。

 

ニンテンドーSwitchにて『塊魂アンコール』が出ています。

 

 

 

よかった、やれますね。

 

 

 

そしてジャック・オ・蘭たんさんが塊魂の実況動画の第二弾も上げていらっしゃるのですが、爆笑したのでこちらもリンクを張っておきます。

 

www.youtube.com

 

 

ウシのこと嫌いじゃないけど、数日間ホント、ウシのこと考えちゃった記憶があります。

人の失敗を笑うようで申し訳ない気持ちもあるのですが、ここでも分かる、分かるぞの繰り返し、というか、懐かしさが胸中を満たしました。

 

私も王様の

 

「ウシダーーーーーー!!

 

に被せて何度

 

「ア”ーーーーーーー!!

 

と叫んだか。

それじゃないんだよぉ、それじゃないでしょぉ、と泣きそうになった覚えがあります。途中で挫折したのですが、蘭たんさんの戦いっぷりには、本当に脱帽です。

動画を見終わって拍手を送った。

 

 

 

王様の

 

「ウシダーーーーーー!!

 

に被せて叫ぶ蘭たんさん、の声に重ねて私も

 

「ア”ーーーーーーー!!

 

ってまた叫んでた。

 

 

とても良い実況動画でした。

ぜひ、この独特で素敵な世界に、動画でもいいから足を突っ込んでみてください。

 

気になったらゲームもよろしくお願いいたします。

 

 

 

Switchのリンクも載せておきましょう、私がそろそろ買いたそうにしている気がするので……。

 

 

えっっっっ、カラバリどんだけあるの。

 

 

悩むやん。

 

 

 

 

 

文字数以上の世界がここにある。穂村弘のレンズ通して。

お疲れ様です。

 

 

先日、職場の自分の席があるフロアから出ると、窓の前でコーヒーを片手に外を見ている男性社員さんがいらっしゃいました。

 

窓際に肩ひじをつき、これぞ「たそがれる」の基本の形であり、正解の姿なのではないか、というほどキレイな「たそがれる」様子で、私はつられて外を見た。

 

時間帯はお昼を過ぎた頃。

 

 

ものすごい曇ってる。

 

 

勝手に外はいい天気なんだと思っていたので、ちょっと面白かった。

ちょっと寒い日だったので、「いい天気だなぁ」って窓に寄って日向ぼっこしていらっしゃるのかと思っていた。

 

物憂げにするなら雨が似合う。

 

と思う。

ので、後ろ姿しか見えなかったにもかかわらず晴れていると思ったのなら、男性社員さんの背中に寂しさなどは漂っていなかったのでしょう。

 

ついつい話しかけると、

「雨、降りそうだなぁと思って」

とのんびりしたお返事があって、私は、そう、癒された。

 

 

そういえば、天気予報では「晴れ」や「雨」のことを「いい天気」「悪い天気」とは言わないそうです。

良いか悪いかは人によるから、とのことで。確かになと思う。

 

日照りが厳しくて野菜が育たなくて困っていた人にとっては、待ちに待った雨の日になるだろうし、

運動会に出たくなくて夜祈るようにして眠りについて、朝カーテンの隙間から漏れ出た光で起きた子供にとっては、それは望まない晴れの日でしかない。

 

リレー出たくない……嫌だ……って憂鬱になって、「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………………」って盛大にため息ついて、点けたテレビで

 

「今日はとっても良い天気ですね!」

 

とかお天気お姉さんが素敵な笑顔で言ってたら、世を恨みたくなる。

 

 

気にし過ぎたら何も話せなくなってしまいますが、天気だけに限らず、物事の「良い」「悪い」はその人だけの感情だと思うので、発言には気を付けていきたい。

 

決めつけない、判断しない。

 

この心でやっていきたい。

 

 

言葉が持つ力やイメージって本当に難しくて、怖くて、楽しい。

短歌ください(角川文庫)

著者:穂村弘 出版社:KADOKAWA

ISBNコード:9784041026045

本の情報誌「ダ・ヴィンチ」の読者投稿企画「短歌ください」に寄せられた短歌の中から、穂村弘が傑作を選出し、講評。言葉の持つ可能性の果てしなさに胸が高鳴る読み物としても刺激的な一冊。

怖い作品は良いものだ、という穂村さんの言葉が何度も出てきて印象的でした。良いかどうか技術的な観点から私に分かるはずもなく、でもゾクリとする感覚はあって、何か恐ろしさや生々しいものを想像できる作品なのだと思うと、こういう感じを受けること自体すごいもんな、と思います。

なんせたったの31音しかない。

 

 

 

私が書いているこのブログのことを考えると、2000文字並んでいたって伝わらない時は伝わらないし、なんならこれなら伝わるぞ、という自信のある文章自体少ない。

 

意図して綴らないとレベルアップしない、ですよね、そうですよね。

 

 

タイピングは早くなります。

 

『短歌ください』はこちら1冊目で、まだ続きがあるので順番に読んでいきたいです。私では句を深読みできないので、投稿された短歌と、穂村さんの解説、講評すべてで楽しんでいます。

誰かの言葉を誰かの目を通して読む贅沢さ、有難く読ませていただきます。

 

 

文字数だけなら、無理矢理収められるんだけどな、そこに意味を持たせるとなると、やっぱ凄いなぁ……。

 

 

 

 

 

 

 

リベンジ成功記念日

お疲れ様です。

 

 

突然母に誘われて、紅葉狩りに行きました。

「おじいちゃんのリベンジで」とのこと。

 

リベンジとは何ぞ、というところですが、

先日お出かけの予定があったのに、体調を崩して祖父が出かけられなくなった、という日があったので、それのリベンジ。

 

体調を崩した理由が可哀想だったので、ここに記してそのエピソードを供養することにします。

 

 

久しぶりに「お昼にみんなでご飯を食べたい」と言い出したのは祖父だったらしい。

その誘いが数日前にあって、当日の朝、布団でごろごろしながら、いい加減起きて出かける準備をしないとなぁと思っていたところに母から電話が来た。

 

「今日のご飯は中止になりました」

 

あれ、どうかした? ともちろん聞く。何かあったのではないか、と身構える(布団の中で寝ころびながら)。

 

「昨日の晩、よぅけ食べる姪っ子ちゃんにつられて、じいちゃんもすごく沢山食べてしまったらしいんだけど、それで腹を壊した」

 

「えっ、かわいそう」

 

楽しい気分が、悲しくて情けなくて何とも言い難い無力感に変わる瞬間を、祖父と共に浴びた気持ちになった。

 

めちゃくちゃ可哀想。

電話口でそう言いながら、私は笑っていたのだけれども(笑)

 

 

回想終了。

大事なくて良かった、と思ったのが数日前。

 

 

 

当日。

 

とってもいい天気で、紅葉狩り日和だった。

 

岐阜の郡上八幡の方へ行きました。

雲一つない空。近くを流れる川。そして青々とした木々。

 

 

赤や黄色はどこにある(笑)

 

 

紅葉狩り、とは称しているけれども、一番の目的としては祖父のリベンジなのである。祖父は道中、車の中で「別に紅葉なんぞいらん」と言っていたので、本当に強がりでもなんでもなく、葉の色が秋の色に染まっていなくてもいいのである。

 

道の駅をはしごして、その度にたくさんのものを買って、歩いて、しゃべって。

 

 

私が一緒に行くことを、母は当日まで祖父母に黙っていらしく、「あなたの存在はサプライズでした」と全部終わって帰ってきた後で言われた。

 

とはいえ私が何をしたかって、祖父が何やら話している内容に対して、良く聞こえていないのに「へぇ、そうなんやぁ」と相槌を打つ母と、「実は適当に返事されとること、じいちゃんは知っとるんよ」と祖母が言うのに耳を傾けつつ、ぼんやり外を眺めて、いい天気で良かったなぁ、と思っていただけで。

 

 

それでも二人はすごく喜んでくれて、以前読んでオススメした『嫌われる勇気』に書いてあったことってこういうことだよなぁ、などと思ったりした。

 

 

 

人は誰でも幸せになることができる、というアドラーさんの考え。

 

何かに貢献したり、誰かの力になったり、そうしたことで「役に立つ」「参加している」という意識が生まれる。自分が価値のあるものだと認識できる。

でも本当は、人間は誰しも何かの役に立ったりしなくても、その自身の存在自体に価値がある。

居るだけで充分価値がある、ということを自分で理解することは、幸せになるために大切な事だ。

 

みたいなことを言っていた、気がする。

思った以上に曖昧な理解の仕方だった。申し訳ない。

 

分かるけど、難しい感覚だなと思った。

 

 

とにかく、私にとって、手っ取り早く自分が生きていること自体に価値があると思えるのは(この言い方もどうかと思うけど)、祖父母や親、友人と一緒にいるときなんだろうな、と思うと、有難い。

 

皆のおかげで楽しく生きてるんだなぁ、と思って、今日もどの方角にも足を向けて寝られない気持ちである。

 

直立不動で眠るしかないのか。

 

 

無理だ。

 

 

今日も私は温かい布団で東に足の裏を向けて眠ります。

 

 

 

 

 

以下はお買い物をした道の駅

 

www.mino-niwakachaya.com

最初に着いた道の駅。

野菜がたくさんで、いやいやこのタイミングでそんな買ったら、まだ道中長いですよ????? という位置だったのに、そんな事は関係ないんだ、と言わんばかりに買い物かごにたくさん商品を入れました。

祖父が落花生のおせんべいが好きなので、二種類の落花生せんべいの前でどちらにしようか迷っていました。

 

 

jm-minami.com

こじんまりとしているのに休憩場所が広々としているので、ちょっと一休み~に最適な場所です。

こじんまり、と表現したものの、野菜や果物の直売からお土産コーナー、特産品、見て楽しい売り場です。猫のクッキーが余りにも可愛かった。

姪っ子甥っ子へのお土産にしようと迷わず手に取る。

 

 

道の駅 古今伝授の里 やまと(公式)

文字化けがすさまじかったので、こちらリンク先の画像が表示できませんでした。

しかし、ここはすごいぞ。

食事処、お土産やさんなど道の駅定番の売り場のほかに、足湯があるぞ、温泉があるぞ。そしてアユの塩焼きが、その場で焼かれているんだけど、説明が難しい、アユの身体を波打たせて串刺しにしたものを、火を囲むようにして地面に突き刺してある、アレが見られるぞ(表現どうにかならんか)。

あと、鯉の餌やりができる。小さい女の子が鯉使いみたいに足元に鯉をおびき寄せて餌をやっていました。めちゃくちゃ鯉がでかくて、ちょっと怖かった。

 

 

 

あと運転中、長良川鉄道を走るカッコいい電車と一瞬並走しました。

 

 

www.nagatetsu.co.jp

調べてみたら観光列車で、どうりでカッコいいわけだとみんなで大きく頷きました。

ななつ星in九州」などのデザインをされた方が手掛けた列車だそうで、外から見ただけでめちゃくちゃシックでカッコ良かったのに、内装もお洒落なつくりであることを知る。

土日祝日に1往復するだけらしく、どれだけ貴重な出会いだったのか……。

電車オタクの知り合いに自慢したい。

そしていつか乗ってみたいです。

 

 

ほとんどドライブで、でも楽しい一日でした。

発見や出会いがたくさん。買ったものも、盛りだくさん。

 

祖父母の家に帰って、その日に買ったものを広げてみたら、落花生のせんべいがふた袋ありました。

 

 

じいちゃん、落花生のおせんべい好きすぎぃ!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

たしか岐阜って道の駅の数がなかなか上位だったはず、と思って、検索してみると、北海道に次いで第2位でした。

道の駅を巡る旅ってのもいいよね。楽しそう。

 

のんびりとやってみたい。

 

 

 

母よ、サプライズで誘ってくれてありがとうございました。

 

 

 

 

 次回もまた誘ってもらえたら、私は自分の価値を見出せるぞ(重い)。

そんなことしなくても、充分毎日楽しいから心配はしないでくれ。

 

身内がこのブログを見つけないことだけを切に願う。

 

 

書かなきゃいいのに、ってのも分かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

ニーチェの本を読むべきか

お疲れ様です。

 

 

寒い。

とつぜん。

 

 

布団、気持ちいいですね。

有難い。

 

 

先日「あっ、ものもらい」と思うような違和感があるのに、まぶたがほとんど腫れない、という日がありました。

 

 

「ものもらい」とは、まぶたの辺りにある脂腺とか汗腺に細菌感染が生じるのが原因で、まぶたが腫れたり、痛みが出たりする病気だそうです。

大体、数日で勝手に治る。じゃあ止めてくれよと思うけど、忘れたころにやってくる厄介なやつです。

 

 

鏡で確認してみると、なんとなく何かがここにあるな……? という感覚と、なんとなく腫れているような……? というのが見える。

 

そこから、あれ、「ものもらい」ってこういうのやったっけ??? と突然「ものもらい」に対する自信が無くなってくる。

 

とりあえず、これから腫れたら嫌だなぁと思いながら薬局に行って、目薬の棚の前で「ものもらい」について検索しながら、目薬めちゃくちゃ種類あるやん、と戸惑っていたら、薬剤師さん? が声をかけてくださった。

 

「ものもらいですか?」

 

「あ、はい。……たぶん」

 

曖昧な返事しか出来ない。たぶん、そう。そうなんだけど、分からない。

 「左目なんですけど」

と言ってみるも、腫れていないのだから外側から見ただけでは分からない。

 

最終的には

 

「腫れたら買いに来ます」

 

という必要のない宣言をして、立ち去った。

ごめん、お兄さん。変な客で申し訳なかった。

 

 

結局、ほとんど腫れなかった。

良かった。 

 

それよりも気になったことがあった。

「ものもらい」について検索していた時に、「ものもらいの名前の由来」という見出しのサイトがチラッと見えたのだ。

お兄さんに話しかけられたので、読むまで至らなかったのだけれど。

 

それを今日ふと思い出して、今日検索し直した。

 

曰く。

 

 

ものもらい。学術名、麦粒腫(ばくりゅうしゅ)。

めんぼ、めばちこ、めこじき、その他地域によってさまざまな呼び名がある。

名前の雰囲気から、誰か人からもらう、つまりは感染するようなものに間違われることも多いのだが、実際うつるものではない。

人からうつるものではないのに、なぜ「ものもらい」という名前なのかというと、どうやら昔、ものもらいは他人から何か物を恵んでもらうと治る、という迷信があったらしい。

 

名前って、症状が出る原因や、症状そのものが由来となってつけられるイメージがあって、だから学術名は麦粒腫、つまりは麦くらいの大きさのしこりが出来る症状から麦の粒の腫れ、という名前が付いたんだろうけど、地域でつける名前ってそうじゃないみたい。

確かに、症状の原因から名前をつけようと思うと、その時に原因が解明されていないといけないわけだから、それはそこに暮らす医者でもない人たちには難しいことかもしれない。

治す方法から名前がつくのも納得できる話。

 

結局迷信だったということですが、昔はそれが説得力のある説だった、のかな。

 

誰かから何かをもらったタイミングで治ったんだろうな、というのは想像できる。

 

 

腫の字が、腫瘍の腫だから怖い、と誰か言っていましたが、訓読みして「腫れる」という意味なので、腫れること自体は、まぁ、日常、確かに正常な状態ではないけど結構あることで、だから漢字だけ見てそんな怯えるものでも無いかと思う。

 

 

迷信とか、思い込みとか、イメージとか、振り回されると大変だけど、そういう人の心によって生み出される何かっていうのは面白いなと思います。

 

 

妖怪とかもさ、調べ出したら切りないけどさ、興味ある。

となりの妖怪さん

著者:noho 出版社:イースト・プレス

ISBNコード:9784781616728

「ウチの猫、猫又になるかもしれんくて……」

ある夏、二十歳の長寿猫・ぶちおは、突如進化して猫又になる。「自分が妖怪になった理由」を探して思い悩むぶちおは、化け狐の百合に、「化け学」を習いはじめるが…。

人間と妖怪の共存が日常にある世界観。ほのぼのした雰囲気と、優しい絵のタッチと、けれどそこにある妖怪と人間の悩みが絶妙にマッチして心に届きます。

 

妖怪ウォッチがめちゃくちゃ流行った時に、凄い勢いで妖怪ものがブワァァァァって棚に並び始めて、もう、もういい、妖怪の関連の本は、もういい、って思ったけど、やっぱりみんな興味あるし、そういうの好きなんだろうな。

実際にいるかどうかは別として、気になる存在、妖怪。

もし居るなら仲良くしたい。

一緒に住めそうなら一緒に住んでみたい。

住めないのかな、どうなんだろ。

詳しくないから、妖怪の推しとか言えないんだけど、でもずっと使っている道具に付喪神が宿ったら、とか考える。

10年くらいじゃダメか。全然足りんか。100年単位くらいじゃないと出てこないか。

 

神様だもんね。

 

 

とにかく、人ならざる物がいるなら、共存しなくてはいけないなら、仲良くできたらいいな。仲良くは無理でも諍いは無いのが良い。

 

こちらが怖いと思って相手を見ている時、相手もまたこちらを怖いと思って見ているのだ……。

 

 

知らんけど……。