推しを推す、そして万物に感謝する。

元書店員。日常のオススメやアレコレの話を。

小説が先か、現実が先か/『僕と彼女の左手』

お疲れ様です。

 

 

少し前にSNS

 

最近、道行く人たちの行動や仕草が芝居がかっているような気がする。

小説などのフィクションに影響されていることって多いんじゃ?

 

みたいなことを呟いている方を見た。

私の感じた内容になっているので、言葉などはかなり違うと思うけれど、そんな感じのことを言ってらっしゃった。

 

ちょっと分かる、と思った。

 

小説ならこういう表現になるだろうな、とか人の仕草を見てたまに考えることがある。

 

暑いなぁって目庇を作って空を見上げたり、

自販機から出てきたペットボトルを億劫そうに取り出したり、

頬杖をついて物憂げにため息をついたり、

 

そんな小説に出てきそうな、何気ない仕草が、日常には散りばめられている。

 

 

小説って、現代を舞台にしている作品なら特に、今の私たちの動きを描いている。

 

多少の誇張はあるかもしれないけれど、フィクションの元になるものは現実の人々の生活や言動であると思うと、

 

 

私たちの元々の仕草

小説などにより誇張した表現に変化

誇張した表現を無意識になぞらえてしまって、私たちの仕草が芝居がかってきている

 

 

ということなのか、それとも

 

 

私たちの仕草に、そもそも大げさなものがあった

小説などはそれを忠実に再現しただけ

 

 

ということなのか。

卵が先か鶏が先か論争みたいな状態になりそうな思考に捉われる。

 

 

 

実は思っている以上に私たちは大げさな動きをしていたのかもしれない、というのが私の考え。

 

良い風に言えば

日常に見られる何気ない仕草は、実は『絵になる』んじゃないかなぁって。

 

髪をかき上げる姿とか、流し目とか、いいじゃん。

窓際に立って、ぼんやり外を眺めている様子とか、いいじゃん。

 

って思いつくものが、もしかして芝居がかっているのか?

 

 

自然な仕草ってなんだ(笑)

誰かの視線を意識しているような、つまり人の目があるところの私たちの仕草って、もしかして全然自然じゃないのか??????

 

人の目を気にしてなくても気にしてるんだろうか。

 

こうしたら綺麗に見える、カッコよく聞こえる、ってのを知ってしまった私たちは、もしかして、もう芝居がかった言動しか出来なくなっているのか……?

 

 

まぁ、それもいいか。

 

 

動きも使う言葉も、その人が自分らしいと思うものを使って、自分らしく生きているということだろう。

皆それぞれが『なりたい自分』を演じている。

 

とても素敵なことじゃないか。うんうん。

 

 

毎日、毎時、毎分、毎秒がフィクションに繋がっていると思うと、私、とてもワクワクする。

人間観察だけして楽しく生きていきたい、などと栓ないことを思ってしまいそう。

 

 

 

 

今日のオススメ。

 

僕と彼女の左手(中公文庫)

著者:辻堂ゆめ 出版社:中央公論新社

ISBNコード:9784122070479

幼い頃遭遇した事故のトラウマで、医師になる夢が断たれた僕。そんな時に出会ったのは、左手だけでピアノを奏でるさやこだった。

 

辻堂ゆめさんは、私が気負わずに読める文章を書かれる作家さんの一人。

何がどうして、という理由を言葉に出来ないのだけれど、とにかく読みやすい。引っ掛かるところがなくて、とにかく好き。

作家買いしてしまう。

 

前回オススメした作品が『羊と鋼の森』。

 

偶然にも『○○と○○の○○』というタイトルでピアノが関係している作品を連続して読んだことになる。

最初それに気が付くと、このタイトルの区切りは何処だろう、と読む前に考えた。

 

 

羊と鋼の森』は、ピアノを表す『羊と鋼』、の『森』。

もしくは、ピアノ調律の世界と森のイメージをくっつけた『羊と鋼の森』で一つの塊。

 

 

『僕と彼女の左手』は。

 

『僕と彼女』二人の『左手』の話なんだろうか。

それとも『僕』と、ピアノを弾く『彼女の左手』の話なんだろうか。

 

タイトルの意味を考えて読んでいくと、後者かな、と思い始める。

 

左手一本でピアノを奏でる天真爛漫な彼女の存在が、過去に捉われている僕に影響を与えていく。

『彼女の左手』に魅入られる『僕』。

救いのある物語。

 

 

で、読み進めていくと、前者だったかな、と考えが変わる。

その気付きが、ハッとする感覚が、好ましかった。

 

 

 

……が、目次に目を通さずに読み始めてしまったので、読み終わってから気付いた。

この作品の各章は、第一曲、第二曲、と数えられているのだけれど、

 

第二曲目の章タイトルが『僕の左手』で

 

第四曲目の章タイトルが『彼女の左手』だった。

 

もうここに答えがあるやん……。

最初から『僕と彼女の左手』は、『僕の左手』と『彼女の左手』の意味があるんだと、ちゃんと書かれてるやん……。

 

でも、『彼女の左手』は力強くピアノを奏でていく左手だけど、『僕の左手』が何なのかは読まないと分からない。

 

 

ぜひ読んでほしいし、辻堂ゆめさんの他の作品も読んでほしい。

 

 

 

今度は『コーイチは、高く飛んだ』を読んでみたい。

 

これからも作品楽しみにしています。