どうして本を読むのか。
お疲れ様です。
以前お話した私の職場の神様に、
「くりこさんはどうして本を読むの?」
と聞かれた。
読書の何が好きなの? という問いかけとは少し違う、本を読む理由そのもの。
うっかり「えっ、、、す、好きだから……?」と答えてしまったのですが、そんな言葉で自分自身も納得できるはずがなく、しばらく考えた。
ここから先、いつにもましてダラダラ考えます。
そこに本があるから
という答えでも充分な気もする。
外出した時に待ち時間が発生し、本をカバンに入れ忘れてしまったと気が付いたら、何をするかと言えば、周りに張られている広告の文字を読んだり、ペットボトルの文字を読んだり、とにかく読めるものを目が探していることは多い。
文字がそこにあるから読む、というのも、そういう意味では間違いじゃない気もする。
でも、本を読もうとして持ち歩いているわけだから、そこに本があるから、というのは可笑しい。
あるから……っていうか自分で持ってきとるやん、である。
本は『待ち時間』を生まないことに一役買っている。
私はほとんど何かを待ったことがない。待ち時間は読書時間になるからだ。
じゃあ、待ち時間を無くすためか、と問われれば、それは『本を持ち歩く理由』であって、読む理由ではない。
それに『待ち時間を無くすため』に本を持ち歩いているわけでもなく、時間が空いたら本が読める、空いた時間がもったいない、時間があるなら本を読まねば、という気持ちから持ち歩いているきらいがある。
時間があるなら本を読まねば、という感情は、焦燥である。
なにゆえ、そんなに焦っているか。
積読本が多いからである。
どんどん読んでいかないと買った本が無くならない、時間がいくらあっても足りない。面白い本は次から次へと出てくる、見つけてしまう、買ってしまう、だから読む、隙間時間をゼロにしてやらないと、絶対に時間が足りない。
つまり、面白い作品がどんどん出てくるから本を読む……?
本屋に行くから、本を買うから、本を読む……?
本屋に行かなければ、本を読まない……?
私は本を買わなかったら、本を読まないんだろうか。
読むために買ってるんだから、読みたいなら、買わないと、読めない、んだから、買うよな……?
本を読まない、という選択肢は無いような気がする。
読みたくて、買って、読んで、色んな感情が生まれて、それが楽しくて、嬉しい。
本を読むのは、好きだ。
でも、たまに、本を読まなければならない、っていう強迫観念みたいなものを感じるときもある。
食事に似ている。
食べるの好き。美味しいものは、より好き。
食事はちゃんと摂った方がいい、というのは分かっていて、でもうっかり面倒になって1食抜いた時に罪悪感のようなものが生まれる。
読書をしばらくしない期間があって、ああ最近読めてないな……という申し訳ない気持ちが、1食抜いてしまった時の罪悪感によく似ている、気がする。
自分が受け入れたものは、大切にしたい。
物も、人も、好きになったものなら。
ということなのかもしれない。
私は、本を一度受け入れたものだから、一度好きだと言ったものだから、読むのかもしれない。
それって純粋に好きってことなのかなぁ、なんだか義理のような、などと考えてしまいそうになりつつ、まぁ、それでもいいじゃないか、とも思う。
好きじゃなきゃいけない、なんて思ってないつもりだけど、行動や生まれる感情を省みると、そんな気もする。
どうしても離れられない関係、というのも、悪くないような(笑)
皆さんはどうして本を読むのでしょう。
明確に「○○だから」と言える方がいたら、その気持ちよい潔い理由を聞いてみたい。
私は職場の神様に、この気持ちを端的に伝えられそうにない。
食事に似ている
って言ったら、たぶん、生きていく上で必要不可欠なものという意味で捉えられてしまうだろう。
喜びもあるけど、反対の感情も生まれるときがある、
って、別に特別なことでもないか。
どんなに好きな事でも、たまに離れたくなることもあったり、最近やってないなぁって悪いことした気持ちになったり、誰にでもある気持ち、だと思ってるけど、どうなんだろう。
とにかく私は本が読みたい。
出来るかぎりずっと。
それで、所持したい欲もあるので、買って棚に並べたい。
並びも色々考えたい。
本っていいなぁ。
最高に好き。
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本屋さんで待ちあわせ(だいわ文庫)
著者:三浦しをん 出版社:大和書房
ISBNコード:9784479307419
他の人が何を読んで、何を感じているのかを読むのも好きです。
自分と違う視点での感想ってすごく新鮮で楽しい。作品の後ろにある、解説とかも好き。
ところで読書って、ストレスを軽減させるらしい。
さらに良いじゃないか。
読むっきゃないよね。