推しを推す、そして万物に感謝する。

元書店員。日常のオススメやアレコレの話を。

人を人として見るということ

お疲れ様です。

 

祖母の家に行くと大量の野菜をいただくことが多く、大変ありがたいのですが、その日の夜はそれらがダメにならないように、切り分けたり、全てを茹でて冷凍したり、必ず大仕事の時間が必要になります。

 

楽しい時間ですよね。

片付いていく様を見るのは、とてもスッキリします。

 

 

 

 

 

タイトルの話です。

 

先日、AさんとLINEでやり取りをしていたところ、

 

「貴方は本当に人を人として見ない」

 

というお言葉をいただきました。

会話の内容は割愛しますが、流れとしては、

 

 

私がAさんに問いかけをした

 

Aさんはそれに対して、真剣に考えて、言葉を選んでお返事をくれた

 

私の問いかけがAさんにとっては思った以上に返答しづらいものだったというのに気が付いたにも関わらず、それに対しての私の返答が配慮に欠けたものだった

 

 

思いきりまとめてしまうと、このような感じでした。

「あなたは人を人として見ていないよね」というのは結構強いワードだなと一瞬思ったのですが、すぐにそう思われるのも分かる気がする、と納得しました。

 

納得してもしなくても、Aさんはそう思って口に出したことは変わらないし、真剣に考えて返した言葉を、蔑ろにされたような、踏みにじられたような、そういう気持ちになって、例えば怒りや悲しみなどのマイナスの感情が生まれたのだろうな、と想像しています。

「蔑ろにされた気分です」

とハッキリ言われたわけではないので、推測でしかありませんが、とにかく傷つけたのであれば、傷つけたことに対しては謝らねばなりません。

 

 

言葉を額面通りにしか見ないようにしているところは確かにある。

 

その言葉の裏に、隠れるというには分かりやす過ぎるような気持ちが見えていたとしても、直接的な言葉で言われていないなら、聞いていないことにしがちです。

 

知らないことにするし、見ていないことにする。

 

意図的に。

 

勝手に決めつけるのも嫌だなと思うし、違っていたらそれこそ要らないすれ違いを生むし、ハッキリ言わないのであればもしかしたら聞いてほしくないことや濁しておきたいことかもしれないし。

 

だから無いものとする。

 

その人がハッキリと示すまでは、私はそれを見なかったことにしたい。

 

その人が外側に出したものが、相手に見てほしいもの、或るいは見せざるを得ないものだと思っていて、そうしたら、その内側や裏側を考えはしても、見えていますよという顔はしたくない。

 

向かいたい方向性が一緒なら、例えば仕事の内容などなら、こうして欲しいんじゃないかな、は考えられるけれど、人の気持ちとなると、もう、なんにも出来ない。

 

Aさんにとって大切な「言葉に含ませた、確実に大体の人が感じ取れるだろう気持ち」を私が『無いもの』として扱ってスルーしたとしたら、怒られても仕方ないよなぁと思う。

 

 

人の言葉を軽く扱いたいわけじゃない。

でも、軽く扱っていると感じるかどうかの権利は聞き手にしかない。

 

だから言葉や態度は気を付けないといけない。

 

とは理解している。

 

察してほしいという場合があることも知っている。

 

それでも私はそれを改められない。

というのも含めて、申し訳なく思う。

 

 

だからハッキリと「人を人として見ていないよね」と声に出してくださったことで、私はそれを前向きに認識できて、自分に向けられた言葉として意味を噛み砕こうとしていける。

こんな言い方をしては、また良くないのでしょうが、でも私は有難いと思っています。

 

 

 

言われて直ぐは「その気持ち分かる」と思っていたのに、でも考えれば考えるほど分からなくなってくる。

 

「人を人として見る」

 

というのはどういうことなんだろう。

私はどう返事をしていたら、Aさんを傷つけないで済んだのだろう。

そもそも質問をしなければ良かったのか。

それともそんな質問が生まれるような関わり方をしないようにしていれば良かったのか。

 

「人」として接するには、「人」として接していると相手に伝わる様にするには、何を心がければいいんだろう。

 

 

私は「Aさん」のことを「Aさん」だとしか思っていない。

別の知り合いをBさんとするならば、「Bさん」のことは「Bさん」だとしか思っていない。

 

 

主語が大きく見えるけれど、Aさんが言った「人」はたぶん「Aさん」を指していて、「私の気持ちをちゃんと見てくれないよね」という意味だと思っている。

 

そうじゃなかったら、Aさんには、私が誰のことも人として見ていないように見えている、ということになる。

 

私は、誰のことも人として見れていないのだろうか。

それは私以外の人がどう感じるかに委ねられるので、私が自分をどう思っていても関係ない。

 

「人」ってなんだろう。

 

なんか、いい感じにもっと、出来たのだろうか。

 

悶々と。

 

 

 

 

ダラダラと書いていますが、結論は有りません。ごめんなさい。

 

 

人に対して思うところがあっても、直接言ってくれる人は少ない。

お客さんと一緒だな、お店について思ったことを直接言ってくれる人は少ない。良いところだろうと、悪いところだろうと。

 

だから言ってもらえると、ありがたい。

 

改められるかは別として、考えることができるから。

 

 

人の気持ちを考えましょうって保育園・幼稚園、いや、もしかしたらもっと前から習う。

そういう事なんだろうなと思う。

 

心あるモノと対峙しているということを常に忘れず、言葉を紡いでいきなさいということなんだろう。

 

下手くそに見えているんだろう。

 

 

私からも、私が下手くそに見えています。