推しを推す、そして万物に感謝する。

元書店員。日常のオススメやアレコレの話を。

「誰も傷つけないで好きに生きていきたい」は矛盾してるんだろうな

お疲れ様です。

 

 

先日面白い夢を見ました。

いつもズルズルと長い夢を見るのですが、今回は結構短くて、シンプル。

 

真夜中に私が自室にいると、弟が入ってきて、スマホを触りながらおもむろに床に寝転がる。

弟と一緒に、父と母も外から帰ってきたらしい。

遠くから、滅多に取り乱さない父が喚いているのが聞こえてきて

 

「なに、どうしたん」

 

と弟に尋ねると、何か言い辛そうな顔をする。もう一度どうしたのだと聞くと

 

「姉さんが、実は男だったんだってさ」

 

と言う。

彼の言う『姉さん』とは私のことで、どうやら何かの検査で私が男であることが判明したらしいのだ。

その結果を受けた父が憤懣やるかたない様子で喚いているという。

 

夢の中の私は冷静にそれを受け止めて、夜中だから近所迷惑になると思って、父のところに行って、弟から話を聞いていたのに「どうした?」って話しかけて、

 

「まぁまぁ、私、いいよ、全然、悪くないよ、気持ち的に、悪くないなって気持ちだよ」

 

って慰めた。

 

「皆が女の子なら好きだよねって楽しんでたもの、夢中にならなくても良かったんだって、安心してるよ」

 

 

『女の子だから』とか『男の子だから』とか『女の子らしい』とか『男の子らしい』とかそういうものに振り回されないような考え方をしたいし、若い子たちも自分の好きなものに夢中になってほしいなぁ、と常々思えているつもりだった自分から、夢という無意識の中でそういう言葉が生まれたということ、なんだか興味深かった。

 

セブンティーンを毎月買うような、

占いや心理テストをちゃんとチェックするような、

お化粧やファッションに興味を持つような、

恋愛ごとに瞳を輝かすような、

いつも誰かと一緒に行動しているような、

制服のスカートは短く折っちゃうような、

そういうイメージの『女の子』だと思う。

 

たぶん心の底で、まだいつかの固定観念があるんだろうなぁって。

 

 

性別で何かを制限しないようにって、意識しないとそう考えられないんだな、とマイナスに捉えるべきか

 

つまりちゃんと意識して日々行動できているんだ、とプラスに捉えるべきか

 

 

……

 

私は脳内お花畑ヤロウでやらせてもらっているので、プラスに考えようと思います。わざわざ自分を貶める必要もないし。

 

今お腹いっぱいで幸せだし。

 

そしてこんな夢を見ても、やはり私は『男性』になりたいわけではないという不思議……。

 

一体どういうつもりで私の脳みそはいつも夢を構成しているのか……。

 

 

 

そしてこのオススメである。

 

放浪息子 全15巻(ビームコミックス)

著者:志村貴子 出版社:エンターブレイン(角川GP)

「女の子になりたい男の子」である二鳥修一は、転校先の小学校で、背が高くてかっこいい女の子高槻よしのと出会う。最初は女の子になりたいという気持ちを隠し通していた修一だったが、クラスメイトの千葉さおりに偶然女装しているところを見られてしまって……。

性自認とか、ジェンダーとか、そういう深刻な問題になりそうな部分が優しく何でもないように描かれていて、みんなが過ごしている日常の中の一部分でしかないようなテンションで彼らも描かれていて、そういうところが好き。

もちろん、周りと考え方や感じ方が違うと悩んだりする特有の問題はありますが、他にある青春モノと何が違うんだろう、と思わせてくれます。

 

 

 

だんだん自分の性別に対するスタンスについての話に飽きてきているので、もういいかなと思うのに、夢で見せられると考えざるを得ない。

(ブログのネタにしなければいいだけのことなんですけど)

 

 

本当は分かってる、性別で区切られているのが窮屈だと思ってる。

性別に付随する価値だとか押し付けられる色々なものをめんどくせえと思ってる。

そんで、とはいえ恩恵というか、助かる部分と言うか、分けるべき部分がもちろんあることも分かっていて、社会的に何かを働きかけるわけではないので、ただの我儘に近い。

 

 

 ……………………ん?????

 

 

今、ふと思ったんだけど、単純に人に合わせて何かをすることがめんどくせえと思っているだけな気がする(笑)

 

 

あ、そうだな、たぶんっていうか、それが全てだな。

 

 

 

ダメな大人でごめんなぁ。

 

 

 

 

うん、でも、そうだな、出来るならみんな好きなことしようねえ。

健康に生きてこうねぇ。