推しを推す、そして万物に感謝する。

元書店員。日常のオススメやアレコレの話を。

献血バスに出会う(ねぇ彼女、俺と一緒に献血に行かない?)

お疲れ様です。

明日はゴミの日なので、夜のうちにゴミを集めておきました。偉い。

 

早起きするつもりがないことの表れでもある。

 

 

 

三連休の真ん中。

食品の買い出しをするためにショッピングモールに行くと、献血バスに遭遇した。

 

野良献血バスである。

 

 

 

……すいません、野良とかありません。

日本赤十字社さんのサイトに、バスの運行スケジュールも載っているし、それに合わせて献血の予約もできます。

 

献血バス運行スケジュール|東京都赤十字血液センター|日本赤十字社 (jrc.or.jp)

 

ゲリラライブとか、ソーシャルゲームの討伐イベントみたいに、予告なく突然現れるわけではないです。

 

 

バスが来てるよ、という看板がモールの入口に置かれていて、私はそれを見て、行こう、と思った。

 

矢印が書いてあったので、それに従って歩く。

 

次の看板があって、また矢印が書いてあったので、それに従って歩く。

 

 

勢いで「行こう」などと歩き出したのだけれど、こういうのは初めてだ。

こういうの、というのは献血バスに突然行くことで、献血センターには行ったことがあったけれど、それももう10年以上前のこと。

 

簡易テントのようなところに順番待ちの椅子が並んでいて、どんな感じかと恐る恐る覗くと、中にいるスタッフさんと目が合った。

 

 

「どうぞ」

 

 

ああ、心の準備が出来ていない。

 

そもそも「ちょっと買い出しに行こう」くらいの気持ちで家から出てきている。

何だかよく分からない服装だし、化粧もしていない。マスクしとるし、ええやろ、とか余裕かまして出かけてきているので、水分補給しておいてくださいね、と渡された缶のお茶を飲むときになって、何となく恥ずかしさが生まれる。

 

というか、心の準備どころか、人に分けられる血の準備だって出来ていなかった。怠惰に寝転がって、ご飯は適当に済ませてしまっていたし、お風呂だって適当だった。

 

果たして健康な血が流れているのだろうか。

 

 

突発的な出会いに対して、考え無しに動いてしまったのには訳がある。

 

 

昨年のこと。

職場に献血バスが来た。

 

協力できる人は事前に教えてください、当日参加もOKです、というお知らせが来て、自分でも世間様の役に立てることがあるのなら、と参加することにした。

献血できる状態かどうかを調べてもらって、問題なくて、ベッド(?)に寝ころんで、左腕に針を刺してもらって、

 

そうしたら血がうまく取れなくて。

 

針を刺したスタッフさんに「お時間取っていただいたのに、ごめんなさい」と何度も謝られた。

そんな、謝らないでください、私の方こそ、非協力的な血管で、申し訳ない……。

 

だからいつかリベンジしたいと思っていた。

 

献血できなかった日、献血バスについても調べていたというのに、めっちゃ忘れてた。

でも出会った。これは与えられたチャンス。行くしかないっしょ。

 

 

 

 

献血できなかった。

 

 

原因は怠惰な生活をしていたからだ。

きっとそうに違いない。

 

 

まず肘の内側の血管を見てもらうのだけれど、スタッフさんが私の手を取ってすぐに

 

「わ、手つめたいね、冷え性だったりする?」

 

と聞いてきた。

手足が冷えること=冷え性と考えていいのか分からず、ずっと曖昧にしてきたので、上手く答えられない。

そのまま腕の血管を見るために、スタッフさんの手のひらが肘の方に動く。

 

「あー、すごい、冷えてる」

 

手先はいつも冷たい自覚があったけれど、まさか腕全体まで冷えているなんて知らなくて、

 

「えっ、そうなんですか??」

 

と素っ頓狂な声で返す。

身体が冷たいと、血管が収縮してしまう。血流はゆっくりになってしまう。

血液を保存するパックに血液が到達してしまえば、そこには血液が固まらないようにするものが入っているのでもう大丈夫なんだけれど、そこにたどり着くまでのチューブの中で冷えてしまうと、上手く血液が流れていかなくなるかもしれない、と言われた。

 

さすってもらったり、カイロを握らせてもらったりして、なんとかやってみるか、という話をしながら、ヘモグロビン濃度を調べるために採血をする。

 

以前は注射だった気がするのだが、今は中指の腹を針でパチンとやって、そこから数滴の血液を採取する方法に変わったのだとか。

 

パチン。

 

ちょっとだけチクッとする。そんなに痛くない。

 

「あー、数値が」

 

 

 

献血できなかった。

 

 

 

ヘモグロビン濃度が12.5以上あれば、献血が可能なのだけれど、私は12.2だった。

あと、ちょっと、足りない、ああ、不甲斐ない。

 

女性の基準値は11.0~14.8だそうで、だから別に数値に問題があるわけではない。

ただやっぱり、血をもらってもまだ余裕のある人からしか血液は取れない。

 

「お時間取らせたのに、ごめんね」

 

と謝られる。

 

 

まただ。前回とおんなじ。無力。

 

 

前回の献血の時も、やっぱり私の血管が非協力的だったから無理だったのだ、とようやくここで確信を得る。

 

 

 

自分の中で勝手に作られる血液で人様の役に立てるなら、と思っていた。

でも血液の成分とか、その器である自分の状態とかは、気を付けないと人に分けられる準備ができない。

 

自分でも出来ることだ、と勝手に思い込んでいたけれど、そんな簡単なものではなかった。

気合が足りなかった。

 

例えばこれは、被災地が全く欲していないものを良かれと思って持っていこうとする、そんな行為に似ているような気がする。

 

使えないものは要らない。

 

本当に協力したいと思うなら、その気持ちだけではダメなのだと痛感した。

 

ちゃんと朝ご飯と昼ごはん、面倒に思わずにしっかり食べていたら、何か変わっていたのかな。それともその日一日だけ頑張ってもダメで、毎日を健康にしていこうと意識しないとダメなのかな。

 

動ける身体があるのに力になれないことが悔しくて、スタッフのお姉さんと

 

「またリベンジします」

「また来てくださいね」

 

と言い合ってバスを降りた。

降りると、献血の参加賞としてハンドタオルをもらった。

前回ももらったやつだ。

 

 

前回も今回も、美味しい飲み物とタオルだけもらって、血液は提供できないで、検査の為に使われる針などは使い捨てで、ホント、なんというか、無駄な労力を、申し訳ない。

 

 

健康な血液を作ろうと努力することは、私にとってもプラスになることだから、頑張ってみるのもいいかもしれない。

 

 

他の男性がスタッフさんと話をしていたのが聞こえてきた。

献血のお願いの電話が来たそうで、「そんなこと初めてでさ」と。

 

「はい、それくらい今足りていなくて」

 

足りていないことは前回の職場での献血時も聞いていた。

電話も来るんだ。

 

 

感染症対策もしっかりされていました。

アルコール消毒の容器が、人数も少ないし広くもない場所に2か所。

ストーブが聞いて温かい待機場所。

優しいスタッフさん。

 

近くでやってるんだ、行こうかな、と思われる方がいらっしゃったら、是非。

 

 

自分がバスに行ったこと、スタッフさんに無駄なことさせちゃったな、って思ったけど、でもそれは行かないと分からないことだったし、次回に向けて自分がやれることを把握する機会にもなりました。

 

血液が提供できるって、すごいことなんだと改めて感じました。

 

私の場合はホント、クズ人間だったってだけかもしれないんだけど、誰でも出来ることじゃないから、そう思うと、献血に協力できるって、すごく自己肯定感上がるから、爆上がりだから、ぜひ、行けそうな人は行ってみてほしい。

 

 

ちなみに、献血に参加した回数で記念品がもらえたり、献血できなかった人には献血できる身体になるために気を付けることが書かれた冊子がもらえたりします。

 

健康になるヒントもらって帰ってきました。

 

 

 

このブログで訴えたところで、誰に届くでもない気がしますが、きっとゼロじゃないと信じて。