推しを推す、そして万物に感謝する。

元書店員。日常のオススメやアレコレの話を。

手放せない生活

お疲れ様です。

 

 

仕事から家に帰ってきて、

手を洗って、

まず最初に冷蔵庫を開けて、

4本入り79円(税別)のちくわを1本おもむろに取り出して、

そのまま口に咥えて、

咀嚼しながら歩いて、

バスタオルと着替えを持って風呂の準備をして、

ちくわを食べ終わったら適当にシャワーで済ませて、

出てきたらそのまま冷蔵庫を開けて、

材料を適当に切って、

全部フライパンに入れて、

醤油とか酒とか、時折、味噌とか

とにかく放っておけば出来るものを作り始めて、

その間に納豆のパックを開けて、

混ぜて、

フライパンの中身に火が通るのを待ちながら納豆をすすって、

他にも色々そのまま食べられるものを待ち時間に口に入れて、

フライパンの中身が出来上がるころには結構お腹も膨れてきてて、

キッチンに立ったまま、フライパンから直に口に運んで、

満足して、

あとは明日のお弁当にするべく、少し冷ましておいて、

その間にテレビを見たりして、

夜が来て、寝る。

 

そういうことをするために、私は一人暮らしをしているんじゃないかなと思う時がある。自堕落というか、人目を気にしない行動をしたと自覚した時、ああ、楽だなあ、と思って、そういうことを考える。

 

 

実家にいると、例えば仕事から帰ってきて、冷蔵庫を開けて、ちくわに手を伸ばす時に、ふと考えてしまう。

 

このちくわは、誰が何のために買ってきたちくわだろうか、と。

 

作りたい料理があって、そのために買ってきたと考えるのが自然だと思う。

 

私以外の人間が生活しているというのはそういう事なのだ。

ひとり暮らしなら、私が買ってきたものはもちろん私が私の為に買ってきたものであり、私が例えば何か料理に使うつもりだったとして、うっかり口にそのまま入れてしまったとしても、「あ、食べちゃった」で何の問題も無いのである。

 

 

…………………………………………………………………………………………………(長い沈黙)

 

 

こういうことを思うたびに、いつか誰かと生活をする時が来たとして(今のところ予定はないんだけれど)、ちゃんと上手に生活できるのだろうか、と、いや、誰かと住むとかできないでしょ、と、諦めではないけれど、悟る。

 

 

本当にすごい事だと思う。誰かと一緒に生活をするという事を大半の人が当たり前に思っていたりするのかもしれないけれど、すごい事だと思う。

 

 

いつになったら人間として生きていけるのだろうか、と別の生き物のように自分を感じてしまうのは、患った中二病がまだ治っていないからなのでしょうか。

 

 

確かに、雲の流れが速いのを見るだけで非日常を感じてワクワクしてしまうものな。

 

 

 

最近ずっと眠い気がします。運動不足の可能性もあります。

チャリンコで町内を爆走するかな……。

 

 

おやすみなさいませ。