推しを推す、そして万物に感謝する。

元書店員。日常のオススメやアレコレの話を。

自分を好きでいることを疑わないで、そのままでいて。

お疲れ様です。

 

私には苦手なことがあります。

まあ苦手なことなんて一つや二つじゃないので、こんな「実は隠してましたが……」なんてテンションで言うことでは断じてないのだけれど(笑)

 

以前は本屋で働いていた。

そして今、違う会社で働いている。

 

すなわち、その間にあるもの「転職」。

 

 

面倒な事たくさんあった。失業手当の手続きをするだけでも日々ミッションかって思うくらいで、自分のことでいっぱいいっぱいの人たちのためにお手伝いしてるハローワークの皆さんホント凄い。

 

「再就職」「試験」「面接」……

 

避けては通れないモノ……

 

 

 

私は「自己PR」がものすごく苦手です。えへへ。

 

 

 

「自己PR」ってなに……?

毎回思ってしまう。何なの。

 

学生の受験から「面接」があると考えると、だいたいの人が経験することになるんでしょうか。

分かるよ、そりゃ全く知らない人と話すにあたって「貴方はどんな人ですか?」と知る機会は大事。だってこれから皆が一緒に過ごす人だから、受け入れる方にも責任はある。やべえ奴を入れたくはない。団体の目的や目指す姿から遠く離れた人ではないか、確認はしておきたい。

 

分かる。

 

「自己紹介」ではなく「自己PR」なのは、結局聞きたいのが「で、君は何が得意? うちの会社で何ができる?」っていう部分だからだよね。自己紹介されて家族構成とか教えてもらっても、会社の人としては「あ、そうなんだ」以上の感想は持てないし、「それで、ええと君は何か得意なことはある?」と聞くことになるんだから、最初から「何ができるか教えてください」と言うのが手っ取り早い、そりゃそうだ。

 

分かる。

 

分かるのよ。

 

 

でもさ、毎回思っちゃうんだよな。

「人に優しくできます!」とか、受け取った側がどう感じるかによって、それって全く違う評価になるやん。「気配りができます!」とかさ、いやそれ本当に相手もそう思ってた?? みたいなことアピールする勇気ない。

 

なんかアレに似てる。

 

私は友達だと思ってるけど、向こうはそうは思っていないかもしれない

 

みたいなあの異様なまでの自己肯定感の低い想像力。

 

 

本当は「人に優しくして生きていきたいと常日頃思っています」くらいに留めたい。でもハロワの職員さんは仰る。

 

「もっと自信のある感じにした方がいい」

 

企業の面接に通るように、本当に親身になって一緒に考えてくれる。逃げ腰の自信のない人間の背中を叩いてくれる。お世話になりました。

 

やっぱり自信のない人間では生きていかれないのだろうか。

一瞬とはいえ、自分のことを説明するときに嘘を吐かなくては人間は生きていかれないのだろうか。

とはいえ弱い人間なので、やれと言われればアピールしてしまう、たとえ自信が無くとも。そして「そんな立派な人間じゃないけどな」と自分の口から出た虚しさの塊みたいな言葉に心が傷付く。

 

そうなると嘘を真実にしていくしかない。面接で話した自分の姿を理想として、そこに近付けるように日々頑張るしかない。嘘をつきたくないなら、もうそれしか方法がない。

 

そう思って、面接の日を振り返る。

 

 

 

覚えていない。

 

緊張で何一つ覚えていない。

 

自分が発したであろう嘘など、全く頭に残っていない。履歴書は向こうに渡っている。自分が何を書いたか、話したか、分からぬ。確認する術がござらん。

(ちゃんとした人ならたぶんコピーとか控えとか持ってるんだろうな)

 

ただ本来の自分以上の姿をアピールしたのだろうし、でも内容を覚えていないから、どこに向かえばいいか分からない、だから理想の姿に近付いていないことだけは確かで、そして更に落ち込む自己肯定感……。

 

自己PRって本当にいるか??????(すさまじい責任転嫁)

 

人事の方や社長さんは大変だな、良く知らない人たちを選別しなくてはいけない。私には無理だ。……私には無理だ。

 

 

 

ああ、優しい本が読みたい。

アーモンド入りチョコレートのワルツ(角川文庫)

著者:森絵都 出版社:KADOKAWA

ISBNコード:9784043791019

3つのお話が入っているのですが、私は特に表題作が好きです。ピアノ教室に突然現れたフランス人の不思議なおじさん、サティのおじさん。彼の出現により「わたし」の世界は変化を見せる。

ピアノ教室に通う子と先生とおじさん、その中の世界のはずなのに、異文化の混ざりあいのせいか、感じる世界はもっともっと広い。優しくて、とても自由です。

私はこの本に確か高校生のときに出会ったのだけれど、大人になってから読んだら優しさが増していた。中学生の時に読みたかったとも思うし、もっともっと大人になってからまた読みたいとも思う。

 

 

 

今日のこの後ろ向きにしか歩いていない文章が、どうか綺麗な心の人の目に映らないことを願います。

 

自分が出来ると思っていることは間違いなく出来ていることだし、

自分が友人だと思っている人は間違いなく向こうも友人だと思っているし、

自分が一度なりたいと思った姿には、意識しなくとも毎日生きているだけできっと無意識にでも近づいている。

 

そう思っていてほしい。

自分も、周りも、疑わないで生きていてほしい。自分は素敵な人だと、感じたままでいてほしい。

 

きっとその方が、何倍も、何千倍も、何万倍も生きていきやすい。

 

今回文字を打っていて、「自信」が「自身」と誤変換されるたびにドキッとしていました。

 

「自身」に「自信」を。

「自信」は「自身」そのもの。

 

そう思える自分にこの先出会えるといいなと思う。

 

何にせよ、本の感想だけは迷いなく綴っていける自分のことは、好き。

 

やっぱり本は偉大です。

作家さんありがとう。

 

 

思った以上に暗くなってしまった(笑)

私は元気です。

 

それでは!